【音威子府村】「北海道一小さい村は”北海道”命名ゆかりの地だった!」
音威子府村(おといねっぷむら)は北海道で一番人口の少ない村としても知られています。年々の人口減少に歯止めが効かず、2021年12月時点で人口は700人を切りました。そんな北海道一過疎化が進む小さな村に”北海道”という地名のルーツはあります。この記事ではそんな音威子府村にある北海道命名に至るまでの歴史について紹介します。
北海道命名之地のアクセス・行き方
北海道命名之地の最寄り駅はJR宗谷本線の「筬島駅(おさしまえき)」。駅を出たら左に進み、天塩川を渡り、最初のT字路で右に進みます。あとは天塩川沿いを道なりに進むと北海道命名之地の碑が見えてきます。
ちなみにJR音威子府駅からは車で約10分でここまでくることができます。
余談ですが目の前に広がる天塩川は平成16年に北海道遺産に選定されています。
蝦夷地から”北海道”になるまで
安政四年、武四郎はアイヌの人達と共に天塩川を調査し『天塩日誌』を書き残しました。天塩川探査の帰途中、オニサッペで故事に詳しいアイヌのアエトモ長老から話を聞きました。
「アイヌの通称である『カイナ』の”カイ”とは、この国に産まれた者ということで、”ナ”」とは、貴人を指す尊敬の言葉である」
これを聞いた武四郎は、「アイヌの人々は、自らその国を呼ぶとき、加伊(かい)と言い、アイヌはヒゲが長いところから、蝦夷(かい)の字を用いたが、元々蝦夷地の蝦夷(えぞ=かい)とは加伊(かい)のことである。」と考えました。
明治2年7月19日、武四郎は道名に関する意見書を提出。候補に、日高見道(ひたかみどう)・北加伊道(ほくかいどう)・海北道・海島道・東北道・千島道の六道を提示、この中から「北加伊道」が採用され、「加伊」の字に北方の海に通じる「海」をあて、「北海道」の名が誕生しました。現在の北海道の名は、まさにこの地でアエトモ長老と出会ったことから生まれたのです。
『#北海道命名之地』みんなの投稿
北海道が大好きだ。
…であれば、この地が「北海道」と呼ばれるようになった原点の地を見てみたい。そう思って訪ねたのが、ここであった。
なかなか山の中のマイナーなスポット。
誰1人いない。だからこその感慨深さがあった。#北海道命名之地 pic.twitter.com/1SrFxjLLtO
— 旅人YAMA@日本分割6周目 (@yama31183) June 26, 2021
国道からそれて、熊が出没しても不思議ではない鬱蒼とした未舗装の道をあること十数分
徒歩でここまで足を伸ばす人もそういないだろう
振り返れば天塩川と宗谷本線。
木々の色彩も秋が色濃くなっている#北海道命名之地 pic.twitter.com/0yTH5IbTrt— 人生の漂流者 (@50s_wanderer) September 29, 2017