【赤平市】「北海道に松前城以外の和風城があった!?廃墟となった現在でもその存在感は抜群!」
赤平徳川城は国道38号線沿いに位置する「日本最北の城」です。赤平からエルム高原に向かう途中に突如として現れてくるので、初めて通る人は「え!こんなところにお城があるの!?」とびっくりしてしまうかもしれません。このお城は実際に徳川家の歴史に関係あるものではなく、「徳川城」と呼ばれる企業が「人形工房」として建設した「なんちゃって城」です。この記事ではそんな赤平徳川城の成り立ちと魅力について解説していきます。
赤平徳川城のアクセス・行き方
赤平徳川城があるのは滝川市と芦別市の中間にある人口約1万人の赤平市です。
札幌方面からアクセスする場合は国道275号線を使い、滝川方面に進みます。新十津川町に入る手前で右折し、石狩川を横断。その後しばらく道なりに進み、角の「びっくりドンキー」が目印の「新町2」の信号で右折します。その後は国道38号線沿いを道なりに進んでいくと左手に見えてきます。
ちなみに赤平徳川城は愛称で、正式名称ではないため、ナビで検索してもでてきません。ナビで検索する場合は住所「北海道赤平市幌岡町174」で検索してください。
かつては人形工場だったが現在は廃墟に
冒頭でも触れた通り、元々赤平徳川城は「人形工房」として設立されたものでした。
1991年のバブル崩壊後に完成したこのお城は「日本最北端のお城」として一時は町のシンボル的な存在になりました。1階がお土産屋と人形作りの実演コーナー、2階〜3階が人形の展示販売エリア。4階には雛人形の展示と和風レストラン(このレストランの営業期間は極端に短かったそう)、5階には武田信玄などの有名戦国武将の鎧のレプリカの展示、そして6階が天守閣展望台になっていたそうで、当時の民間企業が作ったものとしては、かなり力の入った施設だったことが伺えます。
しかし、5年後の1996年には日曜日にも関わらず、数人程度の来客で厳しい経営状況だったことが当時訪問された方のブログに残っています。
その後、「人形工房 徳川城」3代目社長である「松澤一男」氏が亡くなられ、業績不振が続き、2007年頃から現在に至るまで廃墟となりました。
いっそのこと町でこのお城を買い取って観光地化したら面白いのになぁと思います。
『#赤平徳川城』みんなの投稿
2022.05.06、赤平市の赤平徳川城にて。元は人形屋さんだったらしい立派なお城。廃墟とのことだけど、窓が開いてるね。だれかが覗いていたりして… #ダンボー #赤平市 #赤平徳川城 #北海道孤高のTwitter会 pic.twitter.com/2qnlMkuI4H
— 白熊ぱんだ (@s_panda_dosanco) May 11, 2022
空知・赤平市(あかびらし)
・赤平駅(6階建て)、北陸の金沢駅「鼓門」くらいびっくらこいた
・エルム高原(温泉・キャンプ場)への分岐に建つ、6階建て「赤平徳川城」道内二番目の築城
・赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設と住友赤平炭鉱立坑櫓(高さ40m余り、ガイド付き見学あり) pic.twitter.com/VprUr4ckCw— sakura maya NO DM plz (@sakuramaya11) September 5, 2020